シンポジウム「原発事故から6年目の今・福島のこれからを考える」発言

 2016年10月1日、二本松市で開催されたシンポジウム(「原発事故から6年目の今・福島のこれからを考える」)<主催:原発被害者訴訟原告団全国連絡会>で、シンポジストとして参加しました。400人近い参加者で盛り上がりました。予め、発言内容を準備していきましたが、時間の関係もあり、必ずしもすべてを発言できたわけではありませんが、いかにその内容を添付しておきます。

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 ①現状と問題意識<自己紹介、事故後5年半経過、現在の被害状況、今抱えている悩みや課題は何か。問題提起、>

 2010年に福島大学を定年退職した今野と申します。福島市に住んで34年になりますが、この度の大震災では、個人的に、二つの被災地を持ちました。
 一つは、郷里であり、いまだに親戚の多くが住んでいる宮城県女川町の被災です。女川は人口1万ほどの小さな漁村ですが、約1割、900人ほどが一瞬の津波で亡くなりました。女川原発がありますが、ギリギリのところで事故を免れた。もし、福島と同じ状況に置かれた場合は、津波による道路の寸断で避難ができず、900人ほどの犠牲者では済まなかっただろうと思います。考えただけでゾッとします。個人的には、姉はじめ5人の身内を津波で亡くしました。3人は未だに行方不明です。宛てもなく探しながらも、女川町の復興計画策定委員会に呼ばれ、失われた郷里の復興に協力することになりました。
 もう一つは、いま住んでいる福島の被災です。福島県は、津波の被災とともに、原発事故による被災という、二重の被災地となりました。原発被災からの救済への有効な手立てが取られぬまま、津波被害者に対する救済、支援が遅れ、津波被害からの避難者と原発事故避難者相互の齟齬も生まれました。
 被災3県と言われますが、直接的な人的被害等は、警察庁の発表によれば、宮城県が最も多く1万774人、岩手県がそれに続き4786人、それに比較すると福島県の1810人は、相対的に少ないが、その後の展開(復旧・復興)は、原発事故の特有性からくる厳しい現状があります。「ゼロからの出発」か「マイナスからの出発」か、私は、これを「復興の格差」と呼んでいますが、端的には次の点に顕著です。
 第1に、避難の広域化、長期化です。津波地域の避難に比較して、避難が広域化していることです。これは放射能の被害から避けるために、できるだけ現場から遠く離れざるを得ないことから来ます。避難のピーク、2012年3月の県外への避難者は6万2831人です。5年が過ぎ6年目を迎えている現時点でも県外避難者4万833人、県内避難者4万6153人、合計8万6986人が避難しています。
 宮城の津波地域では、同一町内に仮設住宅が建設され、津波が去って直ちに、住居、生活、生業の再開への闘争が開始しています。しかし、原発被災地、とりわけ強制的避難地域は、50〜60キロ離れた仮設住宅等に避難し、長期にわたって自宅に立ち入ることすら不可能となり、生活・生業の立て直しの目途は立たない、まさに過酷な状況に置かれたといえます。
 第2に、避難の長期化は、不十分な住居環境、学校の閉校を含め子どもの教育への多大な犠牲、生活基盤の喪失、家族の分断、医療・介護の欠如、コミュニティの崩壊・住民間の分断等をもたらしました。このなかで、震災関連死が急増しました。【資料②】
 直接死1604人に対し、関連死2089人と宮城・岩手と比しても非常に多い。この間、私自身、中通りを中心に4つの市町村で、震災関連死の審査委員会(医者・弁護士さんらとともに)に関わり、避難者がいかに過酷な避難行動をとったかを、死亡診断書等の、書面上ではありますが、教えられました。避難先すら確定せず、高齢者が、寒い工場の片隅で寝ること等で体調を崩して亡くなる方もおりました。
 さらに深刻なのは、震災関連死と認定されている方々が、今なお続いているということです。期間の経過とともに福島の比重が増加しています。(復興庁調べ)震災後6カ月から1年以内の福島県の関連死は360人(全国比83.9%)、1年から2年以内343人(90.7%)、3年から4年以内82人(95.3%)、4年から5年以内でも35人(97.2%)。
 震災関連自殺も増加しています。2016年3月25日の公表(内閣府)によれば、2011年(6月〜12月)から2016年(2月まで)の総数は、166人。(岩手県35人、宮城県41人に対して福島県は83人)ですが、宮城・岩手に比較して福島がなかなか減少しない。2011年の段階で岩手17人、宮城22人に対して福島は10人だったのが、昨年2015年においては、岩手3人、宮城1人と減少していますが、福島は19人と高い数字のままです。(岩手県17人― 8人― 4人― 3人― 3人―0人、宮城県22人― 3人― 10人― 4人― 1人―1人、福島県10人― 13人―23人―15人―19人―3人)
 道路や鉄道、企業誘致等の取組はマスメディアでも取り上げられていますが、震災からの復興の第1は、「人間生活の復興」でなければならない、「個々人の生活の回復」ができているかどうかが第一だと思います。家族とともに、友人たちとともに営んできた生活が一瞬にして否定され、戻ることすらできない、まさに「非人間的な生活」を強いられている状況は、基本的人権の否定といえます。
 強制的な避難地域だけでなく、それ以外の地域においても、放射線の被害を避けるために、戸外での遊びを制限したり、家族が離れて生活せざるを得ない状況(18歳未満の子どもの避難は、現時点でも県内1万1682人、県外9846人。県外避難の子どものうち、福島市郡山市いわき市からの避難=自主避難=は、4372人、44.4%です)、様々な精神的ストレスの中での生活は、まさに強制避難地域以外でも、「被災者」と位置付けられるべきであり、此処においても「人間の生活の回復」が必要です。
 強制的避難を強いられた人のみならず、自主避難せざるを得ない方々、現地に住み続けながら「生活の回復」を追求している方々にも、その生活を支える施策が特に必要と思います。また被災者同士の理解・共同・連帯、全国民的な連帯においても、「個人の生活の回復」のための、「個人の生活に寄り添った」支援が、特に求められていると思います。

【全国にはまだ9万人近い避難者。その相当数は県外避難。福島の復興と県外避難者の被害回復は、どのようにして結びつくことができるのか。何が可能なのか。】

 避難者及び滞在者の被災は、政府の原子力政策及び東京電力によって引き起こされたものであり、責任をもってその回復、損害の賠償をなすことを求めなければならない。まさに「人災」である原発被害に対して、加害者としての責任を明確にさせなければならないと思います。
 「賠償金」よりも、以前の「生活」を返して欲しいというのが被災者の共通の思いです。家族・友人たちと培ってきた日常生活、またお互い支え合って生きてきたコミュニティを一方的に、一瞬にして崩壊させた加害からの回復は、いかに困難なことであるか、この5年半、痛感してきました。
 加害者に対する責任追及にとって重要なことは、被害者・被災者の連帯だと思います。様々な分断策の中で、なかなか連帯ができない状況もありました。津波避難者と原発避難者との齟齬、自主避難者と滞在者の齟齬、賠償金額の差異など、協力すべき被災者同士が、なかなか共同できない状況もありました。分断策ともいわれました。
 福島の実情を伝えるべく、多くの人が、県外の各地にまわってきましたが、福島の情報の格差に驚いて帰ってきています。福島からの距離が離れれば離れるほど、マスメディアの情報も少なくなり、福島の状況が、まだ3.11直後のレベルと理解されていると報告されます。福島のこの6年近い経緯と、被害の状況とその克服の努力の状況を、正確に全国に伝えることが重要であり、原発事故の被災の過酷さを正確に伝えることが、被災地しての、被災者としての責任だろうと思います。福島の原発事故の原因を明らかにし、その被害の実相を伝えるならば、原発再稼働ということはあり得ないと思います。現実の動きがそうなっていないのは、被災地の発信の不十分さと反省しています。

 震災後、有志と自主的な勉強会を立ち上げました。【資料③】の「ふくしま復興支援フォーラム」です。地元の実務家・研究者に、各分野の被害の実相と復興の方向を報告してもらいました。支援に来ていただいた神戸の皆さんの取組から、復興は、地元に在住している「街の」専門家集団の力を結集すべきだということを教えてもらいました。
 昨年の9月まで約4年間、100回にわたって報告してもらいました。各回は40名程度ですが、延べ人数で500名以上になっていると思います。被災市町村の首長を含め、地元の実務家・専門家に頼んだことのメリットは、非常の大きかったと思います。それは、地元の方は、地元の被災現場の中で格闘しているがゆえに、リアルな現場の状況を反映してもらいました。それとともに、その後の展開をフォローしていただけるし、地元であるがゆえに、他の分野・方向の際にも参加していただいて、総合的な議論が展開出来たということです。また、何よりも、ファンドはゼロから出発したので、講師謝礼も、旅費も無い、ボランティアでお願いするということで、今考えると赤面の至りですが、本当に有り難い。
 取り上げられたテーマは、資料を見ていただきますが、まさにこの現地で何に関心を持っていたのか、また拘っていたのかを理解していただけると思います。
 こうした企画の準備の際に、世話人で話していたのは、「復興」というのは、震災前の「福島」に戻っただけでは解決しないのではないかということでした。従来の福島県は、ある面では首都圏を支えるために、食糧を送り、集団就職・出稼ぎなど労働力を送り、エネルギーを送り(水力・火力・原子力を含め、福島と新潟で首都圏の7割のエネルギーを送っている。東京電力の電気を作りながら、福島では消費はしていない)、また水利権など水も買っている。福島県の復興は、地域の自立した経済体制を作るものでなければ、またの繰り返しになるという思いでした。
 各報告のなかで、医療も、産業の問題も、教育の問題も、震災前の状況、まさに福島県の「平常時」の状況が、今回の「非常時」、被災の被害を深刻にしているのではないかということが多かった。こうしたことも解決する、新しい福島の復興でなければならない。
 そのためには、福島県民の力で「合意形成」、自主的な市民的「合意形成」が必要ではないかということです。福島県民の力で、新しい福島県を作っていくということです。
 行政の提起する方針に、ただ「同意」してきた過去を反省して、市民の主体で、「合意形成」をしていくべきだという発想です。
 ささやかな経験は、その端緒を、見出しただけにすぎませんが、こうした自主的な動きが広がれば、大きな川になるのでないかと思っています。このフォーラムも、しばらく休んでいたので、圧力もありますので、そろそろ101回から開始しようと思っています。
<コープふくしまの経験:滞在者中心に、放射能の勉強、測定、食事調査等・・>

【まとめ】

 被災者同士の協力・連帯が、重要だと話しましたが、それを自治体間に広げることも重要と思っています。
避難先と避難元の自治体間の協力、相互の住民間の連帯が重要になってきている。
 ①福島市飯舘村自治体間協定などもあるが、避難先の自治体の支援の積極性が重要と思います。避難先で自宅を新築したいという要望に対して、避難先自治体の積極的対応が求められています。避難先の自治体の財政的負担が問題にされますが、現時点でも、不十分であっても国からの特別の交付税が支給されています。住民間の不要な対立を招かないように、制度的な説明を明確にしつつ、改善していく必要があろうと思います。
 住民票の問題がありますが、被災地から移転することは出来ますが、やはり、現時点でも、「すぐには帰る」ことはできないが、条件ができたら「帰りたい」と思っている方々は、現時点でもかなり多い。来年3月の強制避難解除は、二者択一の判断を迫るもので、「住民に寄り添ったものとはいえない。多くの人に聞くと、避難先でも市民としての権利と義務を担いたいという要望が強い。学術会議の研究委員会や、福島大の今井先生等が、両方に住民票をもつ、つまり「二重の住民票」を提起していますが、国は、厳しい対応をしているようです。
 私もある市の幹部の意見を聴いたら、「選挙権」を二重にもつのは難しいと云っていましたが、それは重要な権利ではあるが、一定の条件付きで可能ではないかと思っています。英知を集めれば、憲法を変えるより難しいことではないのではないかと思います。ある市の情報公開審査会で、仮設に住んでいる方の情報公開請求権について出してみたのですが、やはり住民票がないというのがネック。長期にわたる場合、このシステムは大きな問題だと思いますし、今だからこそ真剣に検討すべきではないかと思います。
 ②避難先での住民間の連帯も重要と思います。すでに自主的に、盆踊りを共同で行ったり、毎日ラジオ体操を一緒にやったり、夏祭りを共同でおこなう等住民間の連携の例も出ています。
 先日聴きましたら、受け入れている本宮の集落の住民が、避難している浪江の方々と、バスで一緒に浪江町の現地視察を行っていると聞きました。受け入れ住民の方々が、被災地の現状を見る、私は素晴らしい取り組みだと思います。制度の問題もありますが、こうした住民間の連帯が、具体的な「寄り添う」活動だと思っています。福島市にある浪江町の仮設の傍に、浪江町の小さな図書館を建てた。福島市民との交流も期待してのことですが、なんと利用者は、福島市民の方が多いということもあります。
 ③被災地自治体間の連携も重要と思います。最初に強制避難した双葉8町村の住民のアンケート調査では、復興計画は、双葉郡一体で作るべきだという意見が一番多かった。現在になってみると、各町村独自の復興計画が作られていますが、放射線の高いところ、低いところ、様々でなかなか街づくりは難しい。合併は難しいし、また行うべきではないが、復興計画に限定してでも、地方自治法にある「広域連合」をつくり、連携した取り組みをしてはどうかと思っています。ただ、8町村が集まっただけでは実効性がないので、島根県で例がありますが、県も参加して、福島県と8町村の広域連合は検討に値するのではないかと思っています。それは、とりもなおさず、福島県の復興にあっては、この双葉8町村の復興に最も力を投入して、県の財政力、県の人材を投入して、行うべきではないかと考えています。復興に際しての、県の主体的な取り組みが発揮すべきではないかと思っています。

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