第6回<「原発と人権」全国研究・市民交流集会inふくしま>での発言

 福島大学を定年退職後も、福島に在住し、ほぼ40年になります。福島に住んでいる者として、大震災からの復興の現状と課題について話したいと思います。きわめて多様で包括するのも困難ですので、避難と帰還、廃炉及び処理水の問題について触れたいと思います。

 被災の実態と言っても、観る立場が異なると把握自体が困難です。私たちは、官庁の統計というよりも、被災の現場に立ち会って、実践し、研究している皆さんの報告を重視しようということで、2011年11月から、「ふくしま復興支援フォーラム」を有志で立ち上げ、現在まで219回になりました。そのテーマの類型は、総論的な問題から、各論、生業の具体的再生の動きについての報告を受け、また市町村長の苦悩と課題ということで、12人の現職の市町村長の報告をお願いしました。地域社会や自治体の問題、子どもを守る問題、教育問題など、福島に住んでいる者にとって震災に関わる、ほとんどあらゆる問題について現状と課題について話し合うことができた。議論のみでなく、行動を起こすべきとのお叱りも受けましたが、まずは、議論の輪にできるだけ多くの人々を参加してもらうことで続けてきました。

 いくつかの問題について触れますと、原発事故特有の問題として、避難者が広範囲に、かつ長期にわたって続いているということです。避難者のピークは、2012年5月の16万4865人(県外:46都道府県に6万2038人、県内:10万2827人)ですが、12年後の2023年2月には、2万7399人(県外2万1101人、県内6293人)です。しかし、各自治体発表の避難者数は、6万7000人を超えています。このことが自主避難者と強制避難の分断を生み出しています。約6万7000人が、現在でも自宅に帰れず、避難者としての生活を強いられている問題です。こうした長期にわたる広範囲の避難が、宮城及び岩手と比較しても、災害関連死の数を多くしている。(宮城、岩手の直接死は多いが、関連死は死者全体の9%前後に対し、福島は59%と直接死を上回っている)。そして今なお、継続していることに表れています。災害関連死は、自然現象ではなく、被災者支援の強化によって、十分に防ぎ、減少させうる課題と思います。震災後の行政の重要課題と思います。特に避難者に対する不十分な対応が、関連死を増加させていると考えます

 避難指示解除がなされ、帰還することができているかという問題について、双葉郡8町村に限定してみると、昨年の6,7月の段階で、各町村のばらつきが大きいが、全体として2011年の人口7万4122人に対して、町村内居住者1万5113人(20.4% 約2割)である。この中には、工事関係者等「新住民」も含んだ数であり、帰還者とは言えない。昨年8月末に一部避難解除がなされた双葉町では、この1年で帰還した者は68世帯86人となっています。避難解除がなされると、当然、帰還するものとして扱われるが、10年ほど経って、住宅も、医療・学校など全く、受け皿の整備が不十分で、アンケートでは「帰還するかどうかを決めかねている」避難者を生み出している。

 生業の再生についてはどうか、農業については、浜通り地域の再生は遅れているが、福島県全体としてみても、米の価格が震災時の98%が現在でも全国平均の91%、桃も90%から84%にとどまっている。漁業については、原発事故の影響で、沿岸漁業・底引き網漁業は操業自粛し、魚種を限定し、小規模な操業と販売を試験的におこなう「試験操業」を行ってきたが、2021年3月末で終了している。まさに本格操業に入ろうとしている時期であるが、この時期に、ALPUS処理水の海洋放出が強行された。生協を中心に処理水海洋放出反対の署名25万を国と東電に出しているが、海洋放出以外の方法の提起も全く無視されてきた。

 そこで、復興と廃炉の両立、ALPS処理水を考える福島円卓会議の設置を提起し、8月21日の第3回の円卓会議では、緊急アピールを出している。円卓会議には、東電や行政の参加も呼び掛けているが、今のところ実現していない。緊急アピールは5点。①今夏の海洋放出は凍結すべきである。「関係者の理解なしにいかなる放出もしない」という約束を守れということである。②地元の漁業復興のこれを以上の阻害は許容できない。現在の状況は、対話と相互理解に向けた姿勢を欠いており、漁業関係者を孤立させている。③いま優先して取り組むべきなのは地下水・汚染水の根本対策である。④海洋放出の具体的な運用計画がまだなく、必要な規制への対応の姿勢も欠けている。福島県廃炉安全監視協議会に出されるべき計画が、尊重されていない。⑤今後、県民・国民・専門家が参加して議論すべき場が必要である。円卓会議は、処理水の海洋放出が始まっても、そのチェックを継続していく。

 2011年の8月に福島県としての復興ビジョンが出されたが、人間の復興、コミュニティの復興から、かなりかけ離れているのではないかということで、フォーラムを担ったメンバーが中心となり、「県民版復興ビジョン」を策定し、新たな復興計画を住民とともに作る呼びかけを開始している。