臼井嘉一さんを悼む

 臼井先生は地域に根差し、地域を支える人材育成に向けた大学づくりに情熱を注がれた方でした。
 昭和五十七年に旧教育学部助教授として赴任された時からの付き合いで、当時は二人とも三十代でした。酒を飲み交しながら教育について熱い議論を交わしたのが昨日のことのように思い出されます。謙虚で他人を思いやる気持ちが強く、分野は違えど多くの刺激を受けました。
 平成十四年から四年間、学長をお務めになり、国立大学法人化や共生システム理工学類の創設、全学再編など大学が大きな変革を迎えた時期に全力でかじ取りをされました。私は副学長でしたが、臼井先生の強いリーダーシップがあったからこそ成し遂げられた面が大きいと思っています。
 臼井先生は「自らが研究者であるべきである」との考えで、学生をはじめ教員になった教え子にも独自の専門分野を持つよう指導されました。「ただ教えるのではなく、常に向上心を持って取り組む」という先生の遺伝子は、県内外に広く受け継がれています。
 二月ごろに電話で話す機会があり、入院したことを知りました。その後は回復に向かっていると聞いていたので、突然の訃報が残念でなりません。同じ時代を共に歩んだ掛け替えのない同志を失った気持ちです。心からご冥福をお祈りします。(談)
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 10月6日付「福島民報」に掲載されたものであるが、前日、電話で取材を受けて話した内容を今野順夫(元福島大学長、コープふくしま理事長)名で、まとめられている。