第4回<復興と廃炉の両立とALPS処理水問題を考える福島円卓会議>

第4回  <復興と廃炉の両立とALPS処理水問題を考える福島円卓会議>2023.9.23

 連休の最中、ご多忙の中、お集まりいただきありがとうございました。

 第4回目になりますが、復興と廃炉の両立、ALPS処理水問題を考える福島円卓会議を開催したいと思います。

 第3回円卓会議は、8月21日に開催しましたが、8月24日には、処理水の放出を強行するという情勢の中で、この会議として、「今夏の海洋放出は凍結すべき」等の5項目の緊急アピールを発表しました。

 しかしながら、全く聞く耳を持たないかのように、8月24日には、第1回目の放出を強行しました。1日当たり460トン、17日間にわたって約7800トンを放出しました。今年度中にタンク約30基分の3万1200トンを予定しているといいます。

 モニタリングで処理水に含まれるトリチウムの濃度などを監視しながら作業を進めるとされていますが、今後の放出によって、加重されていくことになり、私たちの懸念が少なくなることはあり得ない。

 漁業者のみならず、県民・国民の意向に耳を貸すことなく強行することは、この処理水だけでなく、廃炉に向けたその他の課題についても、同様のことが予想されます。この円卓会議の目的でもありますが、県民の意向を反映させる仕組みを早急に作る必要があると思います。

 「福島県原子力発電所廃炉に関する安全確保会議県民会議」があり、それを通じて、県民の声が反映されるとの説明があるのかもしれませんが、その設置「要綱」によれば、「東電及び国の取組について、安全かつ着実に進むよう県民の目で確認していく」を目的として設置されており、県民の意見の反映のためには困難と考えています。緊急アピールでも、求めていますが、県民、国民、専門家の参加する場の設置が必要と思います。

 この円卓会議において、強行された処理水の海洋放出の状況をチェックしながら、かつ緊急アピールの実現に向けて、積極的な議論の展開をお願いしたいと思います。

第6回<「原発と人権」全国研究・市民交流集会inふくしま>での発言

 福島大学を定年退職後も、福島に在住し、ほぼ40年になります。福島に住んでいる者として、大震災からの復興の現状と課題について話したいと思います。きわめて多様で包括するのも困難ですので、避難と帰還、廃炉及び処理水の問題について触れたいと思います。

 被災の実態と言っても、観る立場が異なると把握自体が困難です。私たちは、官庁の統計というよりも、被災の現場に立ち会って、実践し、研究している皆さんの報告を重視しようということで、2011年11月から、「ふくしま復興支援フォーラム」を有志で立ち上げ、現在まで219回になりました。そのテーマの類型は、総論的な問題から、各論、生業の具体的再生の動きについての報告を受け、また市町村長の苦悩と課題ということで、12人の現職の市町村長の報告をお願いしました。地域社会や自治体の問題、子どもを守る問題、教育問題など、福島に住んでいる者にとって震災に関わる、ほとんどあらゆる問題について現状と課題について話し合うことができた。議論のみでなく、行動を起こすべきとのお叱りも受けましたが、まずは、議論の輪にできるだけ多くの人々を参加してもらうことで続けてきました。

 いくつかの問題について触れますと、原発事故特有の問題として、避難者が広範囲に、かつ長期にわたって続いているということです。避難者のピークは、2012年5月の16万4865人(県外:46都道府県に6万2038人、県内:10万2827人)ですが、12年後の2023年2月には、2万7399人(県外2万1101人、県内6293人)です。しかし、各自治体発表の避難者数は、6万7000人を超えています。このことが自主避難者と強制避難の分断を生み出しています。約6万7000人が、現在でも自宅に帰れず、避難者としての生活を強いられている問題です。こうした長期にわたる広範囲の避難が、宮城及び岩手と比較しても、災害関連死の数を多くしている。(宮城、岩手の直接死は多いが、関連死は死者全体の9%前後に対し、福島は59%と直接死を上回っている)。そして今なお、継続していることに表れています。災害関連死は、自然現象ではなく、被災者支援の強化によって、十分に防ぎ、減少させうる課題と思います。震災後の行政の重要課題と思います。特に避難者に対する不十分な対応が、関連死を増加させていると考えます

 避難指示解除がなされ、帰還することができているかという問題について、双葉郡8町村に限定してみると、昨年の6,7月の段階で、各町村のばらつきが大きいが、全体として2011年の人口7万4122人に対して、町村内居住者1万5113人(20.4% 約2割)である。この中には、工事関係者等「新住民」も含んだ数であり、帰還者とは言えない。昨年8月末に一部避難解除がなされた双葉町では、この1年で帰還した者は68世帯86人となっています。避難解除がなされると、当然、帰還するものとして扱われるが、10年ほど経って、住宅も、医療・学校など全く、受け皿の整備が不十分で、アンケートでは「帰還するかどうかを決めかねている」避難者を生み出している。

 生業の再生についてはどうか、農業については、浜通り地域の再生は遅れているが、福島県全体としてみても、米の価格が震災時の98%が現在でも全国平均の91%、桃も90%から84%にとどまっている。漁業については、原発事故の影響で、沿岸漁業・底引き網漁業は操業自粛し、魚種を限定し、小規模な操業と販売を試験的におこなう「試験操業」を行ってきたが、2021年3月末で終了している。まさに本格操業に入ろうとしている時期であるが、この時期に、ALPUS処理水の海洋放出が強行された。生協を中心に処理水海洋放出反対の署名25万を国と東電に出しているが、海洋放出以外の方法の提起も全く無視されてきた。

 そこで、復興と廃炉の両立、ALPS処理水を考える福島円卓会議の設置を提起し、8月21日の第3回の円卓会議では、緊急アピールを出している。円卓会議には、東電や行政の参加も呼び掛けているが、今のところ実現していない。緊急アピールは5点。①今夏の海洋放出は凍結すべきである。「関係者の理解なしにいかなる放出もしない」という約束を守れということである。②地元の漁業復興のこれを以上の阻害は許容できない。現在の状況は、対話と相互理解に向けた姿勢を欠いており、漁業関係者を孤立させている。③いま優先して取り組むべきなのは地下水・汚染水の根本対策である。④海洋放出の具体的な運用計画がまだなく、必要な規制への対応の姿勢も欠けている。福島県廃炉安全監視協議会に出されるべき計画が、尊重されていない。⑤今後、県民・国民・専門家が参加して議論すべき場が必要である。円卓会議は、処理水の海洋放出が始まっても、そのチェックを継続していく。

 2011年の8月に福島県としての復興ビジョンが出されたが、人間の復興、コミュニティの復興から、かなりかけ離れているのではないかということで、フォーラムを担ったメンバーが中心となり、「県民版復興ビジョン」を策定し、新たな復興計画を住民とともに作る呼びかけを開始している。

復興と廃炉の両立とALPS処理水問題を考える第3回福島円卓会議(2023.8.21)

                             今野順夫

 酷暑の中、お集まりいただきありがとうございます。これから福島円卓会議を開催します。

 7月4日に、記者会見で、ALPS処理水の処分のあり方、復興と廃炉の両立について議論していくために「福島円卓会議」を開催することを呼びかけ、7月11日に第1回の円卓会議、8月1日に第2回の円卓会議を開催してきました。

 第1回の会議では、広く21名の発言をいただき、処理水放出の問題点が指摘され、さらに第2回では、IAEAの報告書をどう考えるかについての研究者の発言、さらに、漁業の復興の現状と県漁連との約束の問題について漁民の立場から示され、さらに、福島県廃炉安全監視協で出されている問題等について、詳しい説明がありました。

 議論は、さらに尽くすべき問題があるのですが、今までの2回の会議を経て、この円卓会議として、この時点で、態度表明も必要ではないかと考えています。

 新聞報道では、岸田首相が、第一原発に視察に来るなど、出されている問題点を解明するということではなく、その放出の時期の決定に向かって、着々と進んでいるようです。

 本日の第3回の円卓会議では、切迫している状況に対応して、「緊急アピール」を出すべく、皆さんの積極的なご意見をお願いしたいと思います。よろしくお願いします。

九条をめぐる情勢の展開と九条の会運動の意義(福島県九条の会「活動交流会」)

福島県九条の会「活動交流会」(2023年7月23日・二本松福祉センター)

      九条をめぐる情勢の展開と九条の会運動の意義

                         共同代表  今 野 順 夫

 

 福島県内各地・各職場等での九条の会で、ご活躍の皆さん、ご多忙の中、特に震災で日程が遅れた福島県内の地方選挙の真っただ中でお忙しい中、本日は福島県内の各九条の会の活動の交流のためにお集まりいただき、ありがとうございます。

 

(1)九条の会の発足と展開

 福島県九条の会は、2004年6月「全国九条の会アピール」に呼応して、福島県内各地の著名人25人の皆さんの呼びかけで、2005年2月4日に発足しました。

 発足以来、全県総結集の大規模な「講演会」を開催し、「憲法塾」の開催、各地学習会の支援、「日本の青い空」等の映画上映運動、ブックレットの出版等の広報活動を展開してきました。

 しかし、新型コロナ感染拡大の中、リアルに集会を持つことが困難になり、活動の継続拡大も困難になりました。例年、開催されていた東北六県の交流集会も、オンラインで継続することになりました。また、発足以来、共同代表として先頭に立ってこられた吉原先生が、昨年1月にお亡くなりになりました。改めて、吉原先生に対する感謝とご冥福を、心からお祈りします。また、先生のご遺志を受け継いで、福島県内で、九条の会運動を、大きく発展させていきたいと思っています。

 

(2)九条をめぐる情勢

 私たちの九条を守る運動は、様々な困難に直面していますが、日本の政治情勢、ロシアのウクライナ侵攻を契機とする世界の情勢の激変は、九条を守り、平和を追求する私たちの運動の再構築、強化を求めています。

 安倍政権、菅政権を引き継いだ岸田政権は、「敵基地攻撃能力の保有」(基地のみならず、中枢を含む「反撃能力」)、「大軍拡」を推し進めており、日本国憲法も、「専守防衛」もかなぐりすてようとしています。これは、バイデン米大統領から3回にわたって、岸田首相に求めてきたものであることが明らかになっており、日本を米国の対中国軍事戦略の最前線基地にしようとするものです。

 5月に行われたG7(主要7か国)広島サミットは、被爆地からの核兵器廃絶への積極的メッセージの発信が期待されましたが、「G7広島サミット」は、「核抑止力」論を公然と唱える一方、92ヵ国が署名した「核兵器禁止条約」を無視する態度を取りました。

 9条の改憲自体も米国の要求から始まっています。集団的自衛権行使の容認、敵基地攻撃能力(反撃能力)の保有という憲法9条を蹂躙する暴挙がなされていますが、しかし、それでも9条は平和を守る力を発揮しています。政府は、9条のもとでは、全面的な自衛権の行使も、海外派兵もできないと、現時点でも言わざるを得ません。これらの制約を取り払ってしまうのが9条の改憲です。絶対に許すわけにいきません。

 

(3)福島と憲法

 私たちは、福島県内で憲法9条を守る運動を展開していますが、福島県憲法と歴史的に縁が深い土地であることを想起すべきと思います。

福島大学の若手の教員が中心になっている「福島と憲法」研究会を組織しており、その資料によれば、次のような例を挙げています。

自由民権運動に関わる福島事件(1882年に着任した三島通庸の県道工事の強制に抵抗する運動です。高知市立自由民権記念館/1億円ふるさと創生事業。「東の三春、西の土佐」)、

②戦争国策によるウラン採鉱強制(石川町の町立歴史民俗資料館には、微量のウランを含むベグマタイトが展示しているが、これは、1945年4月頃から、陸軍とその要請を受けた理化学研究所が、石川中学3年生を動員して採掘を急いだ跡がある。日本もドイツや米国などとの原爆開発競争に乗り出していた。)

③戦後最大の冤罪事件と言われる松川事件(1949.8.17)などの歴史的事件の現場である(1963.9.12 全員無罪判決/9.30-10.1無罪確定60周年記念集会<福大>)=14年間の無実の投獄がありましたが、全国の労働者・市民の闘いによって無罪を勝ち取ったものです。

日露戦争時に日本最初の良心的兵役拒否者となった矢部喜好(きよし)氏(会津出身のキリスト教会の牧師)

⑤太平洋戦争後に憲法研究会の主要メンバーとして民間憲法草案を起草したGHQ草案に影響を与えた鈴木安蔵小高町出身)氏(鈴木安蔵を讃える会)、

日本国憲法審議過程で「平和」や「生存権」などの導入に大きな役割を果たした鈴木義男氏(白河市西白河郡白河町出身)<仁昌寺正一「平和憲法をつくった男 鈴木義男」・筑摩書房)>など、重要人物の出身地です。

その他、結婚退職制を憲法に反する制度として断罪した住友セメント事件は、発端は、いわき市の鈴木節子さんの裁判でした。これも、憲法を生かした運動として銘記されるべきです。

これらは、福島県憲法と歴史的に縁が深い土地であることを示していると思います。福島県の「九条の会」運動は、そうした基盤を持って進んでいると思います。

 

(4)九条の会運動の展開(試案を含む)

 県内には、約100の「九条の会」がありますが、積極的に展開しているところもあれば、休業状態の会もある。一つ一つの九条の会が、大きく活動を展開し、憲法改悪反対を阻止し、憲法の理念を実現する役割を果たすことが必要と思います。そのためには、九条の会自体の発展が求められていると思います。

 県九条の会の事務局会議で、明確な確定した方針ではないが、事務局会議に提案し、議論されていることを含めて話したい。

 

 ①「福島県九条の会」の位置づけ:各個別九条の会の上部団体ではなく、連携支援関係

*また全県的視野における九条の意義の普及(ブックレット、講演会、憲法カフェ等)

 

県の九条の会と個別の九条の会は、組織的に上下関係にはなく、相互に連携支援の関係にあるということです。他県では、九条の会連絡会として存在しているとこもあります。

しかし、全県的視野で行われるべきことは、県九条の会として、積極的な展開をする役割があると思います。憲法に関する講演会、いままでもやってきて11号まで出版していますが、ブックレットの出版、さらに、例えば、オンラインでもっと気軽に参加できる「憲法カフェ」のようなことも有意義と思います。

各地域の個別九条の会からも、全県で、取り組む課題などの積極的な提案をお願いしたい。

 

 ②全県隈なく、九条の会結成の支援、県内個別九条の会の連携・支援(憲法講座)・交流

   自治体単位、複数自治体、自治体内地域、

青年層、女性層への普及 (大学OB九条の会の例)

  ホームページ(イベントの紹介)http://www5a.biglobe.ne.jp/~tkonno/f-9jyou.html

 

 全県隈なく、全自治体に九条の会を設置しようと思いますが、各地域の実情の違いから画一的にはできないと思います。

 一つは、憲法講座の講師リストを作りましたが、是非、利用していただきたいと思います。

 個別自治体単位が難しいところは、隣接の自治体が共同で設置することも必要と思います。また、福島市郡山市いわき市などでは、自治体内にいくつかの地域九条の会をつくり、必要に応じて連携していくことも重要と思います。

 各個別九条の会の取り組みを、ささやかなホームページですがまとめていますので、ご利用ください。

 また、九条の会運動の担い手が、まだ青年層や女子層に広がっていないことが、運動を、大きくしていく際にネックになっているのではないかと思います。

 青年・学生の中での運動は、困難があるかもしれませんが、最近、「○〇大学OB九条の会」が結成され、ネットワークもできつつあります。同窓生や退職者の九条の会を通じて、青年層に広げられないかと思っています。

 

 ③個別九条の会の組織強化、会員の拡大(ニュースを継続的に読むレベルから)

発足時の幅の広さ(顧問)、ニュース発行(情勢、リレートーク)、財政・会費

 

 単位九条の会の数は、分かりますが、全体として九条の会に入っている人は何人なのかはっきりしません。はらまち九条の会は、400人と聞いていますが、それぞれの会の会員数は分かりません。

 この点、県九条の会も、事務局員13人で月に1回会議をやっています。企画集団であることは意味があると思いますが、会員の拡大も必要かなと思います。全国の交流会では、ニュースを継続的に読む人を「会員」として、一挙に、数百名の会にしたとの報告もありました。また署名してくれた人を会員として、連絡を取っている。

 このためには、ニュースの発行、内容の充実が重要と思います。多くのニュースは、企画案内が多いですが、会員の発言(リレートーク)などが、かなり関心を持って読まれているし、相互の連会も生み出しているのではないかと思います。

 「はらまち九条の会」のニュースは、地元と避難者を結ぶ大きな役割を果たしているし、その会費(年間1000円)が、会の財政を支えていることは貴重な経験です。

 また県九条の会としても、設立当初の呼びかけ人25人は、非常に多彩な方々です。情勢の厳しさの反映かもしれませんが、最近は、例えば、保守系でも九条を守るという方々が、なかなか一緒に行動をとるようにはなっていないような気もします。思い切って、保守層も含めて、九条を守ること一点で、結束することが、情勢が厳しくなればなるほど、必要ではないかと思います。改めて、顧問のような形でも結集する必要があると思います。

 

 ④署名活動の展開(「九条改悪反対」、ノーベル賞推薦運動)

 

 従来からの署名運動の展開、かなり厳しい状況ですが、工夫して広げていく必要があると思います。また、ノーベル賞推薦運動として、賛同署名が呼びかけられています。

 ぜひ、成功させていいきたいと思います。

 

(5)全国の経験から学び、持続的な運動展開を

        九条の会運動の経験の交流も、今後、特に重要と思います。

     2023.5.28九条の会全国交流集会(対面)、

2023.9.9東北ブロック九条の会交流会(青森市)<対面+オンライン>

状況が異なるので、それぞれ特色を生かした運動が必要ですが、本日の会合も、その趣旨です。ここで報告された経験から学んで、また全国や東北の取り組みから学んで、行く必要があろうと思います。

 

ここにお集まりの九条の会の皆さんが、独自に、また連携して運動を強化する契機になれば幸いです。

以上、本日の会合に対する期待を述べさせていただきました。皆様からの積極的な報告を期待しています。

 

憲法をいかす福島県民集会での連帯あいさつ

憲法をいかす福島県民の会

   6.3憲法をいかす福島県民集会での連帯あいさつ

           (2003.6.3とうほう・みんなの文化センター)

 

 福島県九条の会の共同代表をしている今野と申します。

 憲法をいかす福島県民の会主催の「2023憲法をいかす福島県民集会」に対して、

「連帯のあいさつ」を述べさせていただきます。

 福島県九条の会は、2004年に結成された全国的な憲法九条の会結成に呼応して、県内でも著名人25人の呼びかけで、2005年2月に結成され、18年が経ちました。

各地域・職場にも「九条の会」がつくられ、草の根的に、憲法九条、憲法の平和主義を守るという事で、全国では約7500の九条の会がつくられ活動してきました。福島県内でも、約100の単位九条の会が結成されていますが、最近のコロナ禍の中で、活動の困難があります。

しかし、情勢の急変の中で、各地で運動を再開しています。ここ1月ほど、私個人も県内の集会に参加してきました。会津若松、勿来、南相馬での会合です。いずれも、主催者が想定した以上の参加者が100名、200名と集まっています。

コロナによる規制の緩和もありますが、情勢が急激に変化し、市民の多くが、危機感を感じ始めていることの反映と思います。岸田政権が、安保3文書に基づき、「敵基地攻撃能力」の保有、5年間で43兆円の大軍拡を進める緊迫した状況の中で、憲法9条を守ろうと立ち上がり始めていると感じます。

しかし、ウクライナへのロシアの侵攻以来、市民の中で、外国の武力による侵攻に対し、手を拱いていてはだめだ、九条の軍備の不保持を守っていては、国も国民も守れないのではないかという意見が強くなっているのではないかと思います。私たちが行っている街頭宣伝や街頭署名の中で、特に感じます。こうした声に依拠して、政府は大軍拡が進めていると思います。軍事に対しては軍事で、武器に対しては武器で対抗すべきとする考え方です。

しかし、こうした方向では、双方に大きな犠牲が生ずることは、ウクライナのことを見ても自明のこと思います。

憲法の前文は、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」として、まさに話し合い、国際的な交渉で、紛争は解決しようとしています。すでに、日中間も、1978年の平和友好条約でこのことを確認してきている。

また。核兵器の威嚇がなされている中で、国連の大多数の国によって、核兵器禁止条約が締結され、2021年1月22日に発効して、すでに締約国会議も持たれていますが、残念ながら日本は、これにオブザーバーとしても参加していません。

唯一の戦争被爆国として、日本は核兵器禁止の先頭に立つべきと考えています。それどころか、最近開催された主要7か国首脳会議では、被爆地・広島で開催しながら、G7から「核抑止力」論を全面的に正当化する「核軍縮に関するG7首脳広島ビジョン」が出されたことは、極めて許しがたいことです。

国際的なテロの事件などでも、日本は被爆国であり、「軍隊を持たない」憲法を持っているとして、尊敬の眼で見られることもありました。残念ながら、今では、それも失いつつあります。

こうした時期であるからこそ、9条を守り発展させる運動は、ますます重要になってきています。今、「9条の碑」を建てる運動が展開し、全国には、少なくとも18か所にあります。特に沖縄県では、7か所と一番多い。それは、厳しい沖縄戦での経験が、そうさせていると思います。今再び、沖縄での防衛体制の強化が、沖縄県民を、特に不安に陥れていると思います。今朝の福島民報をみますと、「沖縄陸軍病院南風原はえばる)壕群20号」の近くに立つ「憲法九条の碑」があります。当時の軍医が詠んだ歌の碑のそばに「憲法九条の碑」が建っています。その歌は、「両の足/失なひし兵/病院を/探して泥道/這ひずり来る」と歌っています。

この福島県は、3.11の大震災に伴う原発事故で、重大な憲法問題を提起していますが、もともと歴史的にも憲法との係わりが深い土地です。自由民権運動に関わる福島事件、戦争国策によるウラン採鉱強制、戦後最大の冤罪事件と言われる松川事件などの歴史的事件の現場であるとともに、日露戦争時に日本最初の良心的兵役拒否者となった矢部喜好(きよし)、太平洋戦争後に憲法研究会の主要メンバーとして民間憲法草案を起草してGHQ草案に影響を与えた鈴木安蔵日本国憲法審議過程で、「平和」や「生存権」等の導入に大きな役割を果たした鈴木義男など、重要人物の出身地です。

こうした土地だからこそ、憲法を守る、平和主義を守る先頭に立っていく必要があると思います。

今後、福島県憲法運動において、皆さんと私たち福島県九条の会が、協力して、運動を発展させていきたいと思います。1+1が2ではなく、3,4になることを期待して、連帯のあいさつとさせていただきます。

ありがとうございました。

 

 

会津における松川事件学習会へのメッセージ

2023年5月28日(会津美里町役場・じげんプラザ)

  <松川事件学習会へのメッセージ>

 戦後最大の冤罪事件といえる「松川事件」は、1963年9月12日の最高裁判決で被告全員の無罪を勝ち取りました。今年は、無罪確定から60周年になります。この60周年を記念して、9月30日から10月1日に、福島大学を会場に、全国集会を行います。この事業を成功させるために、実行委員会は、県内各地で松川事件の学習会をひらいています。

 松川事件は、1949年8月17日の、東北本線松川駅と金谷川駅間での列車転覆事件の犯人として、無実の国鉄東芝の労働者20名を逮捕し、福島地裁・仙台高裁では死刑を含む有罪の判決を下しました。しかし、広津和郎氏ら文化人や労働者・市民の広範な運動の力で、無罪を勝ち取ることができました。14年もの長い間、獄中に置かれた末の勝利です。その後も、多くの冤罪事件が起こりましたが、この松川の全面勝利の裁判闘争に学び、幾多の無罪判決を勝ち取ってきました。松川事件の教訓を受け継ぎ、冤罪を許さない運動が重要になっています。

 私個人としては、仙台での高校2年の時に、全国から支援の行進が仙台集まり、仙台高裁で全員無罪の判決が出たことを記憶しています。そのことは、理系から法学への進路変更にも大きく影響を与えており、最高裁判決は大学1年の時です。

 仙台高裁への差し戻し、仙台高裁の無罪判決は、東芝の団体交渉の経緯を書いている「諏訪メモ」が、決定的な証拠になっています。これは、現在、福島大学の松川資料室に大事に保管されており、この運動と資料は、国際的にも保存すべきものとして、ユネスコ世界遺産(世界の記憶)に登録すべきものとして、その準備活動を継続しています。

 また松川事件、松川運動の受け継いでいくために、優れた松川事件に関する論説や活動などを「松川賞」として発表しています。2015年の第1回松川賞には、研究評論部門で、会津の前田新さんの「戦後70年と松川事件―いま、それを語り継ぐことの意義」が、また2021 年の第7回松川賞には、エッセー部門で会津の吉田恒雄さんの「松川の教訓を胸に刻んで」、さらに2022年の第8回松川賞には、評論部門で会津の町田久次さんの「笑う裁判官」を選んでいます。私たちは、こうした優れた作品からも学んで、松川を継承していくべきものと思います。

 残念なことに、昨年までお元気に活動をなさっていた元被告の阿部市次さんが、お亡くなりになり、その受け継ぎも困難になってきましたが、それを受け継ぐ私たちは、過去の事件としてだけではなく、松川の教訓を新たに展開していくべきものとして、二度と松川事件のようなことは引き起こさせないということを肝に銘じていくべきものと考えています。そうしたことで、無罪確定60周年記念集会は、松川事件そのものを大切にしながらも、繰り返されている冤罪事件を許さない立場から、日弁連の鴨志田弁護士から「冤罪の歴史から再審法の改正へ」の記念講演、2日目のシンポジウム「冤罪と刑事司法」には、パネリストして、東住吉事件の青木恵子さん、袴田事件の映画監督の笠井千晶さん、布川事件の桜井昌司さんを交えて、行うことにしています。

 本日の学習会を契機に、会津でも松川の継承運動を広げていただきたいと思います。4月2日の川崎哲さんの講演会に、私も参加させてもらい、感動しました。ぜひ、浜通り中通り会津が団結した運動の高揚の中で、震災からの復興も実現していきたいと思います。

 さらに団結を強めて、平和と民主主義を実現していきましょう。

   2023年5月28日

       松川事件無罪確定60周年記念事業実行委員会

                   実行委員長  今野順夫

吉原泰助先生を偲ぶ会でのスピーチ

 吉原先生は、1949年に二学部で発足した福島大学を、拡充することで大きな役割を演じていただきました。

 74年間の福島大学の歴史の中で、2学部時代が38年と半分以上。何とか学部増、キャンパス統合が大学の目標だったのですが、38年目にして改組型の行政社会学部を増設できました。純増型ではなかったが、学生数20名の増に対して、教員30名の増という、今から考えると恵まれていたわけです。

 文系3学部の実現ができたが、何とか理系が欲しいということで、大学創設55年目の2004年には、共生システム理工学類を増設。しかし、教員数は増えない困難な中での増設でした。国立大学法人化の中で、学長として先頭に立った吉原先生は、リーダーシップを発揮されました。

 福島大学は、2011年の大震災を経て、さらに70年目の2019年4月に農学群食農学類を増設し、実質5学部の総合大学となっています。

 2学部時代から総合大学へ、吉原先生のご尽力なくしては実現できなかったと思います。

 学内でのリーダーシップのみならず、学外でも、2005年に発足した福島県九条の会の代表として、お亡くなりになる日まで17年間も、憲法改悪に反対し、平和を守る運動の先頭に立ち、また、福島大学に寄贈された松川事件の資料を、松川資料室としてたち上げ、ユネスコの世界記憶遺産登録をめざして、全国に呼びかけてきました。

 また、いうまでもなく、有能な人材を吉原ゼミから排出し、いまや、研究者として、さらに社会的実践者、実業界などで、ご活躍されており、今日の偲ぶ会も、吉原先生のご指導を受けた皆さんの力で実現できました。

 いつも冷静に、我々若輩にも指導をしていただきましたが、何とか吉原先生の教えを大切して、進みたいと思います。本当に、心から感謝をし、ご冥福を祈りたいと思います。(2023年2月5日/福島市エルティ)