ヒマラヤ杉

 宮城県沿岸部に女川町という人口1万人の小さな町があります。東日本大震災が起こった3月11日、大きな津波に町がのみ込まれました。死者・行方不明者約千人、自宅全壊率7割。多くの人が大切な家族を失い、思い出を失い、故郷を失いました。

 女川町のある小学校には、校庭にヒマラヤ杉が立っています。津波でもでも倒れなかった大きな木です。津波の数日後、校長先生が生徒達を集め「なぜ、この木が倒れなかったと思いますか?」と問いました。ある男の子が「根っこがしっかり張っていて、負けなかったんだと思います」。祖母、母、姉を津波で失った女の子が「何千人もの卒業生や多くの人たちに優しく、温かいまなざしで見つめられてきたから、負けなかったんだと思います」。東京新聞に先日、この話が記事に載りました。この女の子の母は、私の従姉妹です。優しいお姉さんでした。

 女川は父方の故郷で、よく遊びに行った思い出の地。産休中で、震災から2週間後に長男を出産しました。子どもたちを守るのに必死で、あの時の私は何もできずに過ごしました。それがものすごく苦しく無力に思える日々で、仕事に復帰してから何か少しでもできることはないか、と考え続けるようになりました。きっと世話好きの叔母や従姉妹が生きていたら、笑顔で困った人たちに手を差し伸べていただろう、誰かの肩を抱きしめていただろう、と思うのです。

 3月11日から半年が過ぎました。あの時生まれた長男も六カ月になりました。笑顔を振りまき、寝返りをうっています。私は、この子が大きくなった時、大きな悲しみの中で「希望」を信じさせてくれたこと、どれだけ多くの人に守られ生まれてくることができたか、を伝えようと思うのです。あの時から凍りついて、とげとげしくなった私の心も、半年が過ぎた中で多くの優しさにふれ、溶け始めそうです。

 先日、このヒマラヤ杉のふもとの仮設住宅へ行きました。強く凛と立つヒマラヤ杉から優しい光が注ぎます。「強いから優しくできる」。でも「優しいから強くいられる」。これからも被災地にたくさんの優しさがあふれますように。

 (宮城・坂総合病院、佐藤美希
    /「民医連新聞」2011年9月19日号「診察室から」)